トンキョンkarasuと高木和道

トンキョンkarasu クラブハウス
トンキョンkarasu









トンキョンkarasu 野洲市で生まれ育ち、小、中学校を地元の学校に通いながらサッカーを続けていた。高校時代は県下の名門・草津東高校で2年時からレギュラーとして活躍するが、全国的にはそれほど有名な選手ではなかった。この頃から空中戦には絶対の自信を持つようになる。1999年に関西学生リーグ2部の京都産業大学に進学。元々プロサッカー選手を目指すつもりはなく、大学卒業と共にサッカーをやめる予定だった。
大学1年時に清水エスパルスの練習に参加した際、ヘッドコーチ(当時)の大木武が足下の技術の非凡さに目を付け、2000年6月、シーズン途中に清水に加入する事となる。
清水入団後の数年間は出場機会も少なく、目立った活躍も出来なかったが、2004年にヴィッセル神戸期限付き移籍、また翌年の清水復帰後はボランチなど別ポジションで起用された経験を糧に急成長し、2005年以降はレギュラーとして出場する。清水のディフェンスリーダーとして技術面だけでなく精神面でもチームを引っ張る存在へと成長し、2006年、2007年はチーム副キャプテン、2008年にはチームキャプテンを務めた。
2008年4月、日本代表候補合宿に初招集される。6月には怪我で離脱した阿部勇樹に代わりFIFAワールドカップ・アジア地区予選に向けた日本代表に初選出され、試合出場も果たす。
2009年よりガンバ大阪へ完全移籍で加入。移籍後初出場となった富士ゼロックス・スーパーカップで連携不足を露呈し、以後は出場機会に恵まれず、サイドバックでの起用や試合終盤での守備固めに投入されるケースが多かった。 翌年は、昨季のレギュラーだった山口智の負傷や復帰後の不振もあり、中澤聡太とコンビを組みセンターバックのレギュラーとして活躍。