今日は受験

1960年8月、ドイツのハンブルクでの仕事が入り新たにドラマーが必要になり、シルヴァー・ビートルズが出演していたカスバ・クラブの経営者の息子ピート・ベストがドラムスをやっていたので、メンバーとして誘い入れる。バンド名を「ザ・ビートルズ」とする。ハンブルクではリンゴ・スターがドラムスを務める「ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ」も出演していて、リンゴと付き合うようになる。
1961年4月〜7月、この2度目のハンブルクでの巡業の途中で、スチュアートが画家に専念するために脱退。
1961年6月22、23日、ハンブルクではトニー・シェリダンのバックバンドとしてもステージに上がっていたことが縁で、ドイツでシェリダンのバックバンドとしてレコーディングに参加(ビートルズのポリドール・セッション)。レコード会社は勝手に「トニー・シェリダン&ザ・ビート・ブラザーズ」とバンド名をビートルズからビート・ブラザーズにかえて発売[17]。「マイ・ボニー」などの他、シェリダン抜きでジョン・レノンのボーカルの「いい娘じゃないか」、インストゥルメンタルナンバーのビートルズのオリジナル曲「クライ・フォー・ア・シャドウ」もレコーディングされた[18]。