ラリー・ドビー

1947年にクリーブランド・インディアンスと契約し、同年にメジャーデビュー。黒人選手としてはジャッキー・ロビンソンに次いでメジャーリーグでプレーした選手で、アメリカンリーグではドビーが初めてとなった。ニグロ・リーグにおける神話的大投手のサチェル・ペイジとも後にチームメイトとなっている。1952年に本塁打王のタイトルを獲得。1954年には本塁打王打点王のタイトルを獲得し、アメリカンリーグのMVP投票ではヨギ・ベラに次ぐ票を集めた。
1956年にシカゴ・ホワイトソックスに移籍するが、1958年にインディアンスに復帰。しかし、翌1959年にデトロイト・タイガースに移籍し、シーズン途中にホワイトソックスに移籍と、晩年は移籍を繰り返した。
1962年にドン・ニューカムとともに中日ドラゴンズに入団し、来日。年齢的な衰えは隠せず1シーズン限りで退団したものの、元メジャーリーガーということで話題になった。

引退後はモントリオール・エクスポズ、インディアンス、ホワイトソックスのコーチを歴任し、ホワイトソックスのコーチを務めていた1978年シーズン途中にボブ・レモンに代わり監督を務めた。
1994年、インディアンスが新球場ジェイコブス・フィールドをオープンした時のセレモニーにて、ドビーの背番号14はインディアンスの永久欠番に指定された。
1998年、アメリカ野球殿堂入り。これは日本プロ野球でのプレー経験者としては史上初のことであった。
2003年6月18日に79歳で死去。